2008-07-21

3連休

1日目
午前は特にない。
翌日の釣行にそなえ、午後準備。
狙いは山女魚。大学同期の家族といくつもり。

ちゃっちゃとお準備をしたつもりが、
19時ころラインがないのに気づく。
こないだ買い替えようとはずして、そのままだった。
いそいで新宿上州屋へ向かうが、すでに閉店。
21時越えていたしなあ。
仕方ないから、同期の家へ。
ラインを借りることにする。

速攻で寝て、翌日起きる。


2日目

2時半起床。同期の奥さんが調子悪いらしく、2人で出かける。
奥さんのライン+リールを借りる。
なんだかんだで、5時に到着。二俣尾駅周辺。
既に先客。
うっとうしい先客。

そしてそこはぼくらのホームグラウンド。
舌打ちをしながら、よい場所はないかと釣り上がる。

ただ、今回この付近の多摩川にはコイがアホみたいにいた。
途中で同期が会った釣り師曰く、
コイがいたら山女魚はムリ」。

でも、釣行は続く。。。

(中略)

結局坊主。
あがったのは10時頃。
同期んちへ戻る。
帰り路は空いていたけど、それより一匹でも釣りたかった。


お昼ご飯を買いにイトウヨーカドウへ。
狙いはサッポロクラシック、でもあるわけもない。
エビスなんかをかう。

ついでに釣れなかった腹いせにお刺身も。
しめさばと盛り合わせ、
あとなんかあるかとおもっていたら、
たこわさのおいしいのがあったから買う。
腹いせに買った所為か、
お刺身盛り合わせにあったイカの刺身に、
アニサキスを発見。
同期がクレームを入れ、イトウヨウカドウは返品、アニサキスのいないお刺身パックを届けてくれた。


その後、同期んちで飲食。
そして夕方帰る。

ねる。



3日目。

お部屋掃除。
中腰を続けた所為か、腰がおかしな具合になっている。

じつは2日目はもっと楽しかったけど、めんどくさくなってしまったのでおわり。

2008-07-13

ドリフ

なんで、高木中本加藤志村は、
K'sデンキのCMに出たんだろう。
いや、出続けているんだろう。

わからないから、保留。

朝は

涼しくて気持ちいいいいいい。
ずっとこのままで。

絵で載せるべきだけど

さっき外に出て大通りを渡ると、
信号が全部青で、車が一台もなかった。
道の先は丘の向こうに消えて、
歩くひとはぼく一人。

初夏の早朝は、文句なく、
きもちいい。
それが昼間は郊外住宅街の様相を呈していたとしても。

新垣の唄

もんのすごく久々にみたCDTV
でてたよ、ガッキーが。

見受けるに、すっごくあがっていて(初めての唄なのに、「今までにはなかった」っていっちゃってたし。それはそれでかわいい。)、だけど声の調子はそうでもなく、(つたない記憶では、川瀬智子を意識してるのかと思った。)眼力がcoccoに似てる。
エッジをいってるなって意味で。
さらにいうと、こっちの世界のひとではない感じ。


▼「アラガキ、しぼりまーーす」っていうCMは、
新垣CMやっぱりあからさまに嘘なんだって確信した。
たぶん周りはカワイさを売りたいんだけど、こっちに伝わってくるのは深刻な顔。
カワイイそして深刻。
となりにあるジャコメッティの女版ってくらい深刻。
ってことは、おれはガッキーの作品に好意を抱いているのか...
いいや...とおもいたい。

どの方向にいくかは判らないけど、多分あんまり上昇しない気が...
もしくは相武紗季みたいに再浮上するのかな。
ってことで、決して伝わらない一言を。

二十歳になったら、がばがばのんでくれい。
たぶん似合うぞ。
えらそうだけど、オレは佐藤仁美が大好きだ。

2008-07-12

気鋭のへなちょこ評論家

と言っていいわけはないけれど、内田樹はそういう人だとおもう。

初期の著作「ためらいの倫理学」からそうだけど、一歩引いている。あるいみへなちょこ。
ただ、この人にはいろいろ惹かれるところがある。
なんといってもレヴィナスの自称弟子であること。
神・死・時間」「時間と他者」を学生時代に読んで、脳回路を吹っ飛ばされた経験のある(吹っ飛ばされたからには、ここに本があるというだけで、記憶はないが)ぼくにとっては、手に届きにくい研究者の一人(あとは合田熊野)として厳然としてそこにいる。
ただ、内田は、"手に届くという気"にしてくれる文体を持っている。
手に届くかどうかわ別だけれどね。

最初に彼の本を読んだのは、映画名のパロディである「子どもは判ってくれない」だった。

なぜ彼を知ったかといえば、いしいひさいち現代思想の遭難者たち」を山形浩生がほめていたからであり、同時に内田の「寝ながら学べる構造主義」を認めていたから。
(出典は朝日新聞の書評
なぜ山形を知ったかといえば、大室幹雄をネット検索したらまともに評論している気がしたのが彼(と松岡正剛)だったから。
なぜ大室を知ったかといえば、大学院を探していたから・・・とさかのぼるんだけど、
まあいいか。
ぼくの記憶史ではそうなっている。


なんだっけ。

そうそう、内田の評論。

なんだっけ。たぶん骨肉的に反駁しがたいから、「ああ、そうね」と思ってしまう。
のが、彼へ対するぼくの弱み。
局所的には相対論。
大局的には、身体を軸にした絶対論。

いまの経験パワー(経験"値"ではないよ)では、飲み込めても、咀嚼しきれない。
もはや、経験すら必要ないのかもしれない。
"地獄への道は善意で敷き詰められている" ってレーニャンがいってたらしい。

何いってるのかわからないこの文章が、証左です。
なんて、逃げてみる。
お腹痛くなってきたし。あたたたた。
マルクスに怒られる。

夕焼け症候群もしくはトワイライトシンドローム

パスワード管理がうまくいってないようでしかたないんだけど、気のせい?
まあそれはそれとして、
トワイライトシンドロームを再びゲイムしたくなったことです。
トワイライトとは、
夕凪であり、里山と呼ばれるところの肝試しであり、境内で始まる祭りの前であり、"悪い時間"。ただ昼と夜の間を統べているよくわからないもの。
少なくとも夕闇ではないよね。闇では何も見えない/聴こえない/触しえない。
http://www.spike-online.net/yuyami/
http://www.spike-online.net/twilight/index2.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/トワイライトシンドローム

ここで触しえるのは、昼間のものでない者たち。
昼間にぼくらが考えた、昼間でない者たちの姿を、擬似的な視覚と聴覚で触す。
...って、宗教的だなあ。しかもトートロジー的だし。

もしかしたら、ヘレン・ケラーは宗教って概念が理解できなかったんじゃないか。
もっというと、概念そのものがないんじゃないかなあ。
見えるはずのないものが見えるとか、聞こえない声が聞こえるとか、
ぼくらの越権かもとかおもったりして。
そこには昼間のものでない者たちを"拡大再生産"している(笑)。
ただ、
彼女にとっては、触覚しかない。
擬似的な視覚と聴覚で触せない、ぼくらとしての"闇"は、彼女にはなかったかもしれない。


※上記ヘレンケラーの話は、彼女はユダヤ人ではないものの、
[養老孟司+内田樹「逆立ち日本論」新潮選書,2007,255頁]の、
ユダヤ論考をかなり意識しています。(p.p.73参照)
つまり、偶像崇拝を禁じられているユダヤ教徒のうち、盲目や聾唖の人の位置づけはどうだったのかということ。
根本的な問題として、YHVHはどう信仰されているのか。
言葉で与えられたとして、YHVHは発音できないから神はわからず、彫刻で触れることも出来ない、タルムードはあるが、文字を与えられない状況ではその意味を為さない。
ここからどのような強い信仰が生成するのか。
発音できないから神はわからず、という前提がちがうのか。
もしかしたら、彼らはぼくらができない仕方でその仕方を教授しつづけているのかもしれない。
それはそれでかなり不気味だ。
たぶん向こうもそう思ってるはず。八百万の神(eight millions of saint patrons)って、気持ち悪いと。
なんせ、持ち上げの神(相撲すると傍にいるよ)とかいるんだし。


中世の秋をちゃんと読まないとならないのかな、これに返事を出すのには。

なんか今


雹が降ってる。なんじゃこりゃ。

暑い

暑い。クーラーが壊れているし。
外に行くにも、気力が湧かない。
扇風機すらも、涼しくならない。
缶ビールも全然美味しくないし。

2008-07-08

それはそれとして

それはそれとして、小田嶋がいうように、古舘は力をいれちがえたよう。今日の報道ステーションをみて確信。

それはそれとして、洞爺湖サミットが始まってから、政府の広告ACが増えたなあ。
それはそれとして、古館の言葉は、威勢が良いときにはZ,V,B,D,Xから始まるなあ。
「全体主義だ、これは」「ヴォクはね」「バッカにならないとおもうよ」「同時謝罪すべき」「ズェッタイにね」
好感はもてないけど、持てる人もいるだろうし、まあ、よい。
ただ、いかんせんぼくの恣意的すぎるので、このZ,V,B,D。ぼくの妄想の域を超えない。
それはそれとして、なにかいいわすれてるけど、まあ、よし。

what intends

東京海上火災日動のCMのBGM。
時計仕掛けのオレンジに使われている曲だよね。
たしか廃墟で女の子一人がやんちゃな若者数人にレイプされそうになっている場面。

それを下敷きにしているCMのメインが赤ちゃんって、どういうことだろ。
CMでも、「ぼくは18になったらクルマを...」から始まり、自信の欲望をとなりの赤ちゃんにうちあけていまーす。
「泥棒かささぎ」っていう(村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」に援用された)有名であろう楽曲だろうけど、たぶんそんなの気づいてないだろうなあ。
と信じたい。
この赤子たちは、a clockwork orangeとねじまき鳥に顕われる順応性と凶暴性と解離性障碍と健忘症におそわれるのかー。

2008-07-06

ぼくのうちにある井上雄彦

brutusに掲載されたおかげで、かどうかはわからないけど、
07/04、上野の森は同世代のやつらでいっぱいだった。
絶対これを見に来てる。
「井上雄彦 最後のマンガ展」
みたかったけど、



...
ってかんじで、みれなかった。
なんせ整理券必要かつ待ち時間80分だしね。

続きはコミックでみるよ。

2008-07-05

ぼくのなかのあるいちじだいのおわり

久しぶりに、新宿紀伊国屋南口店へいった。
文庫コーナーのあるペデ直通の2Fばっかりいってたんだけど、
何となく上の階へ。
社会人になる前は、自然科学、人文科学の階へいくことはあったけど、最近あまりなくて、
今回1年ぶりくらい。

案の定、配置が変わっていた。自然科学、人文科学が同じ階にあった。
たまたま手に取った2冊









10+1」INAX出版空間img
InterCommunication」NTT出版空間img


懐かしいなあ、学生のときには率先して買ったり読んだりしていたなあ、とおもいながら、
ページをめくってくと。

なんと、
2誌とも今号で廃刊!!
なんだよこれ。

どっちもポモ的だし、僕らの年代に近い人たちが寄稿していて、
ライブ感なきリアル感をかもしだしていたから好きだったんだけど。
特にINAX出版は、創刊号の責任編集が多木浩二だった10+1からスピンアウトした「20世紀建築研究」なんかをだしていて、これはぼくがケンチク(という風景)を考え始める頃に出版されているってことでかなり個人的には評価たかい。ぼくの大学の旧教養部の生協にあったのも幸いしてる。さらには五十嵐太郎/塚本由晴/森川嘉一郎とかね。ランドスケープ的には石川初を加えてもいいかも。当時の、本当に若手(修士とか博士課程の人たち)が、従来の建築史には繋がらないかもしれないっていうのを、それでもなにかそこにはあるという確信のもと、そこまで深刻に考えずに記述しているんだ。

それにしても、アマゾンのは高杉。こんなよい教科書は、INAXは文庫とかで出せよ。¥1000くらいでねえ。

空間img
最近、原の「空間ー機能から様相へー」もでたことだし。(この旧版を南洋堂で高値で買ったなあ、昔)

とかなんだかんだいったけど、

おわっちゃったのね。

2008-07-02

マサムネによる民生

2008-07-01

もういっかいやらねば

ナッシュ均衡とパレート最適を完全に忘れている今。
楽しかったはずだから、もっかいやらねえと。