2008-07-12

気鋭のへなちょこ評論家

と言っていいわけはないけれど、内田樹はそういう人だとおもう。

初期の著作「ためらいの倫理学」からそうだけど、一歩引いている。あるいみへなちょこ。
ただ、この人にはいろいろ惹かれるところがある。
なんといってもレヴィナスの自称弟子であること。
神・死・時間」「時間と他者」を学生時代に読んで、脳回路を吹っ飛ばされた経験のある(吹っ飛ばされたからには、ここに本があるというだけで、記憶はないが)ぼくにとっては、手に届きにくい研究者の一人(あとは合田熊野)として厳然としてそこにいる。
ただ、内田は、"手に届くという気"にしてくれる文体を持っている。
手に届くかどうかわ別だけれどね。

最初に彼の本を読んだのは、映画名のパロディである「子どもは判ってくれない」だった。

なぜ彼を知ったかといえば、いしいひさいち現代思想の遭難者たち」を山形浩生がほめていたからであり、同時に内田の「寝ながら学べる構造主義」を認めていたから。
(出典は朝日新聞の書評
なぜ山形を知ったかといえば、大室幹雄をネット検索したらまともに評論している気がしたのが彼(と松岡正剛)だったから。
なぜ大室を知ったかといえば、大学院を探していたから・・・とさかのぼるんだけど、
まあいいか。
ぼくの記憶史ではそうなっている。


なんだっけ。

そうそう、内田の評論。

なんだっけ。たぶん骨肉的に反駁しがたいから、「ああ、そうね」と思ってしまう。
のが、彼へ対するぼくの弱み。
局所的には相対論。
大局的には、身体を軸にした絶対論。

いまの経験パワー(経験"値"ではないよ)では、飲み込めても、咀嚼しきれない。
もはや、経験すら必要ないのかもしれない。
"地獄への道は善意で敷き詰められている" ってレーニャンがいってたらしい。

何いってるのかわからないこの文章が、証左です。
なんて、逃げてみる。
お腹痛くなってきたし。あたたたた。
マルクスに怒られる。

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