2007-03-26

災害ボランティア

昨日の午前10時前、能登半島沖でM7.1くらいの地震が起き、輪島市などで震度6強の揺れを観測したらしい。
今のところ死者1人、負傷者150人強、全半壊家屋は不明。
読売新聞の記事(下の斜体の文章を参照)に載ってた内容について。
災害直後のお話ってことで。

さっそく、ボランティアの申し出が石川県に対してあったみたい(個人か団体かは不明)だけど、県では受け入れ態勢の不備を理由に断ったらしい。そりゃそうだ。指揮系統ないままにボランティアが活動してたとして、超局所的には住んでる人の役に立てるかもしれないけど、全体としてはうまく行かなそうな気がする。

なんせ、いまのとこ何をしたらいいのかってのは、死傷者を搬出するのと、生き埋めになっているかもしれない人たちを救助する事と、避難場所を確保して毛布だの食料だのっていう必需品を確保する手段を考える以外に、よくわからないから。そんなのは、専門家に任せたほうがずっと効率的だし。がれきの撤去とかなんてまだまだ先だろう。避難先にいったとして、食料も満足に提供できない部外者がどんな役に立つんだろう。

なにかしたいっていう気持ちを持つのはわからないでもない。でも、いまのこの状態だと、被災者の求める事と、ボランティアのする事(もしかしたら、したい事)の齟齬が、個人のレベルで吹き出しそう。
むしろ、この記事に載っているように、コンビニの組織力とかで物資援助したほうが、遥かに「おごそかに」「均一に」、役に立てる気がする。臨時にある程度の増産ができる体制をもつコンビニ(たいていどこもか)に、自治体が発注するのもいいとおもう。たぶん災害時に協力してもらう協定なんかをむすんでいるはずだし。ただ、ボランティアの人も、完全に県とかの指揮系統に入る気があるなら、それはそれで役に立つかもしれない。ボランティアってイメージがかもしだす(とぼくは感じている)、人とのふれあいをもとにした救助ってのは、それこそ地域の人たちに任せるべきで、ぼくらが出来るのは、何にでも替える事ができうる「お金」の提供だけなんじゃあないかと。

つまるとこ、ボランティアを参加させるのなら、活動する側と援助される側をはっきりと第三者=公権力が区別し、あとくされなく活動できるような体制に組み込んでからにしたほうがいいと思います。ごく少数にしろ、ボランティアしてやってる、とか、助けてもらって当然、とか思ってしまう人がいるんでしょ?こういうときって正義感ってあんま必要ないとおもうし、ぼくら庶民のレベルでのギブとかテイクとかの発想はじゃまになるだけだし、この記事に反応した理由はそこらへん。
ただ、そんな体制にしたらボランティア減るんだろうなあ。不法ボランティアとかできたりして。



#http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/
20070326k0000m040080000c.html
以下毎日新聞より

能登沖地震:ボランティア「少し待って」 石川県呼び掛け
 25日午前に発生した能登半島沖地震で、石川県などには地震発生直後から「ボランティアに行きたい」との申し出が数十件相次いだが、県は受け入れ態勢が整っていないことを理由にホームページ上などで「あと1〜2日程度待ってほしい」と呼びかけている。義援金などの受付窓口は26日中にも開設する予定。

 また、輪島市にはコンビニエンスチェーンの「ローソン」「ファミリーマート」の2社から、おにぎりなどの物資提供の申し出があり、26日朝におにぎり計5000個、水1000本、カップめん4000個などが避難所へ届けられるという。

[毎日新聞3月25日]

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